文字サイズ小 文字サイズ中 文字サイズ大
ウィーン金貨ハーモニーは、毎日の金価格により変動する地金型金貨です。
サイトマップ お問い合わせ
ホームニュースリリースウィーン金貨ハーモニーとは金貨についてウィーン情報便販売店のご案内
 ウィーン情報便
NAOKI の
『オーストリアの風景』

NAOKI
(夏目ナオキ)

プロフィール

モデル

1982年11月13日生まれ(25歳)
A型。
趣味:サッカー、スキー、スノーボード、ゴルフ、料理、旅行、資格勉強。
幼稚園から高校まで東京横浜ドイツ学園に通学、ABITUR(ドイツ大学入学資格国家検定)取得。国際基督教大学(ICU)卒業。
3級FP(ファイナンシャルプランナー)技能士 取得
証券外務員二種 取得。
TOEIC公開スコアー910点。
英検準1級。
日本語・ドイツ語・英語に精通したトライリンガル。
ファッション雑誌『JJ』のモデルを経て、『Gainer』(光文社)で本格的モデルデビュー。2005年には『花より男子』でドラマデビュー。2008年4月からNHKの『テレビでドイツ語』に先生役として出演決定!
番組詳細
ゴガクル

主な出演作品:
『Gainer』(光文社)、『花より男子』(TBS)、『ぱすてるキッズ』(BS-i)、『イケない女〜大逆転ランキング』(GYAO)、『ゼクシィ』、『JJ』などモデルとして多数出演。
NHK、TBSをはじめ、幅広いメディアでドイツ語の通訳・翻訳活動もしている。

舞夢プロ所属

NAOKIの「オーストリアの風景」

2007年09月28日 11:47

【第4回】ハプスブルク家

【第4回】ハプスブルク家

 みなさん、こんにちは、NAOKIです。

夏休みは楽しめましたでしょうか? このところNHKの「ハプスブルク家の特集番組」の翻訳・字幕をしていて、「ハプスブルク家無しでオーストリアとウィーンを語るのは難しい」と思いました。どうしてもオーストリアとウィーンの魅力を皆さまにお伝えしたく、今日は少し「ハプスブルク家」についてご紹介したいと思います。

 996年に「オスタリッヒ」という名称が初めて登場してから、オーストリアはヨーロッパ史の中で様々な役割を果たしてきました。そのオーストリアは13世紀に、スイス出身の貴族「ハプスブルク家」の領有に帰し、ハプスブルク家は、1237年から1806年まで「神聖ローマ帝国」の皇帝として君臨しました。一時は、今日のドイツ、オーストリア、ポーランドの一部、ボヘミア(今日のチェコとスロバキア)、イタリアの一部、オランダ、ハンガリー、スペインそしてスペインが持っていた海外の植民地のメキシコまで勢力が及んだため、1500年頃に「太陽の没するところなし」と言われるほどでした。

 ハプスブルク家は不思議な王家としても有名でした。何しろ、アルプスの一豪族から始まって、その王朝は640年にわたったのです。皆、大変長生きだったことも関係していますが、こんなに長く権力を持ち続けた王家は他にはありません。しかも、彼らは戦争をせず結婚によって領土を広げていき、これがハプスブルク家の有名な諺 『戦いは他人に任せなさい。なんじ幸せなるオーストリアよ、結婚せよ』につながったのです。

 ハプスブルク家の「政略結婚」ではないですが、僕の家族も少し似ている気がします。 僕の養父と兄はオーストリアのチロルに、母の弟はフランス人と結婚したため、その従兄妹は現在パリとニューカレドニアでそれぞれ勉強しています。又、母の妹の一人は日本人と結婚したため、その従兄弟は東京にいて、母のもう一人の妹はアメリカ人と結婚したため、その従兄妹は今サンフランシスコに住んでいます。
このように、親戚が各国にいるおかげで、旅行する際は「宿泊費」には助かっています(笑)これからは、僕を含めた従兄妹たちが、ハプスブルク家のようによりいっそう「領土」を広めていけるよう頑張っていきたいと思います(笑)

 さて、話をハプスブルク家に戻しますが、ハプスブルク家は多民族国家でした。本当ならば戦争にでもなりそうな状況だったのですが、皇帝はいつも各々の民族を理解し彼らの生活様式、言語の使用などを認めていたため、気の遠くなるほどの領土を持っていたにもかかわらず、「ハプスブルク」という傘の下でうまく一つにまとまっていました。
もうとっくに世界のヒノキ舞台から消えたにも関わらず、ハプスブルグ家が映画やミュージカルを通して描かれるということは、今でも人々の心の中にこの家族がいかに「偉大」だったかということが分かります。

   以前書いたと思いますが、僕は幼少時代から主に夏休みはチロル州の「インスブルック」で過ごしていました。インスブルックはハプスブルクの皇帝「マキシミリアン1世」が大変愛した街で、今でも街の中心にシンボルの「黄金の小屋根」があります。
これは、マキシミリアン1世がミラノから2度目の妻を迎えたときに作らせた、2600枚荒りの金箔張りの銅版を屋根にした可愛らしいバルコニーです。当時、皇帝は眼下の広場で行われた民衆の行事をそこから見物していました。今でも夏やクリスマスの頃になると、このバルコニーから音楽を通して当時の雰囲気を観光客に楽しませてくれます。

 又、インスブルックが首都であるチロル州は、実は大変お金があり、経済的に恵まれていました。それにはインスブルックから10キロばかり東にある「ハル」という街で塩が見つかったことが関係していました。当時塩は、「白い金」と言われ宝石に等しい貴重品でした。その塩を、イン川を行き来する船によってヨーロッパ各地に運び、塩に税金を課したことによって宮廷は豊かになっていきました。
 更に、「シュヴァーツ」という街では銀鉱が発見され、その銀を使ってマキシミリアン1世はコインを作ったのです。コインはハプスブルク家の特別な記念に人々に配られ、皇帝から頂くコインは大変名誉なことでした。又、そのコインは当時お金としても使われ、「ターラー」と呼ばれたとても高価なものでした。この「ターラー」こそが、今の「ドル」(ダラー)の語源なのです。
 最終的には、マキシミリアン1世は、この銀鉱の権利をアウグスブルクのフッガー家に売って莫大なお金を得て、そのお金で芸術を好んでいたマキシミリアン1世は、多くの画家や文豪を手厚く保護しました。今現在は、宮廷教会に巨大なマキシミリアンの霊廟があり、その周りには知人のデューラーや伝統のアーサー王など、28体の青銅像に囲まれています。マキシミリアン1世は、まさに宮廷文化の基礎を築いた皇帝だったのです。
 これまで述べてきたように、オーストリアには「ウィーン金貨」をはじめ、世界で一番古いと言われるチロルのコインがあり、オーストリアは「コインの歴史」がとても古いです。ここで一つ興味深い話をしたいのですが、オーストリア人やヨーロッパ人は金貨を集めることを趣味としている人が大勢います。実際、僕も誕生日やクリスマスに小さい銀貨をよく祖母からもらいました。それは「オリンピック記念」だったり、何かの記念に鋳造されたものでした。「現金」より「コイン」をプレゼントされるほうが、何か「相手はこういうことを考えて、僕にこういうコインを選んでくれたんだ」という気持ちになるため、コインはとても気持ちの入ったプレゼントだと思います。
 皆さんは「金貨」や「銀貨」をプレゼントされたことはありますか?この機会に、是非、「ウィーン金貨」を好きな人にプレゼントしてみてください!

 今回は、オーストリアと「ハプスブルク家」について取り上げましたが、次回はその後、オーストリアと「ハプスブルク家」がどうなったかについて書きたいと思います。

では、また次回お会いしましょう!

NAOKI

NAOKI
NAOKI
NAOKI
NAOKI
NAOKI
このページの上部へ
ホーム  | 新着情報  | ウィーン金貨ハーモニーとは?  | 金貨について  | ウィーン情報便  | 販売店のご案内 |