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みなさん、こんにちは、NAOKIです。
最近「ゴールデンウィーク」で各地は盛り上がっていますが、みなさんも海外・国内旅行、ハイキングやバーベキューなど、連休を思う存分満喫されていますか?残念ながら今年は旅行に行けない僕ですが、友達と横浜散策、日帰り遠足やバーベキュー計画を経てているので、どうにか楽しい連休を過ごせそうです。
長い前書きになってしまいましたが、今日は「クーデンホーフ光子」について書いてみようと思います。
通っていた学校と大学の影響が大いに関係していると思いますが、子供の頃から僕は、ハーフや帰国子女の友達が多いです。環境や教育など、共通点が多いので、お互い理解しやすいということもあり、今でも毎週のようにスイス人の幼なじみ主催の『ドイツ語圏・ハーフの会』に顔を出しています(笑)。
そのような交流をしている中、「いつ頃から日本とオーストリアの交流が出来たのだろう」と考えるようになり、たまたま家で見つけた(以前NHKで放送された)『クーデンホーフ光子』という女性のドキュメンタリー番組のビデオが今回のテーマのきっかけになりました。
みなさんは、『グーデンホーフ光子』という女性のことをお聞きになったことはありますか?
クーデンホーフ光子(旧名『青山ミツ』、1874年7月24日~1941年8月27日)とは、19世紀末、親の反対を押し切ってオーストリア・ハンガリー帝国の時代に日本の公使館にいたクーデンホーフ伯爵と恋愛をし、遠くヨーロッパにお嫁に行った人物で、日本で唯一、オーストリアの偉大なる皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と会話をしたとされる人物です。
青山で骨董品屋を営む青山喜八の娘として東京に生まれた彼女は、幼い頃から紅葉館にお座敷女中として作法の修行に出され、満17歳になると、実家に戻り骨董品屋を助けました。当時のオーストリア・ハンガリー帝国の代理大使であったハインリッヒ・クーデンホーフは、日本の骨董に興味を持っていたためこの骨董品屋を訪れましたが、店の前で落馬してしまいました。そんな彼を助けたのが光子で、二人はすぐさま惹かれ合っていくのでした。
当時はまだ外国人と結婚をするなんていうのは考えられない話だったので、光子は当然両親の猛反対を受けたのですが、光子はハインリッヒを信頼し、周囲の反対を押し切ってまで結婚したのでした。そこで、当時では例のないオーストリアと日本の「ハーフ」である「ハンス光太郎」、「リヒャルト栄次郎」の2人が生まれたのです。
幸せな日々が流れる中、外交官だったハインリッヒ伯爵は帰国しなくてはなりませんでした。光子は伯爵の帰国に伴って、乳母や下僕を連れてウィーンへ旅立ちました。いよいよ帰国の時期が近づいたとき両親に別れをつげ、夫婦は乳母や下僕を連れてボヘミアへ旅立ちました。
一家は大きな庭のあるロンスペルク城に落ち着きますが、1906年心臓発作で夫のハインリッヒがこの世を去ってしまいます。遺産をすべて相続するはずだった光子は、異国人ということもあり(当時のオーストリアでは非常に珍しい存在だったので)、一族からの差別、嫌がらせや訴訟に悩まされましたが、それに立ち向かい、勝訴するとともに、クーデンホーフ家の当主として7人の子供を一人で育てました。そして周りでとやかく言う親戚に対して心を閉ざし、一人で膨大な領地を管理し、祖国日本の名に恥じないように生きたのです。
そのうち第一次世界大戦が勃発、おまけにオーストリア・ハンガリー帝国と日本は敵国として戦うことになり、光子への差別は更に増しました。結果的に、オーストリア・ハンガリー帝国は戦争に負け、ハプスブルク家は崩壊してしまいます。そしてボヘミヤの貴族であったクーデンホーフ家も没落してしまい、ボヘミヤあたりに住んでいた貴族はオーストリアやドイツに逃げたのです。光子はウィーンの郊外のバーデンに移り住みますが、1925年に脳卒中で倒れ、1941年に2度目の発作で67歳の人生を閉じたのでした。
『クーデンホーフ光子』のドキュメンタリー番組を見終わった時、僕がまだ小学校の頃、生涯日本への思いを心の支えにした明治時代の「強い女性」の話に母が大変興味を持ち、ウィーンにある彼女のお墓参りに家族で行ったことを思い出しました。ハプスブルク家の夏の宮殿シェーンブルンの裏にヒーツィングという墓地があるのですが、そこに『クーデンホーフ光子』の墓地があります(グスタフ・クリムトのお墓のそば)。横たわった大きな墓石には『青山ミツ』とローマ字で書いてありました。外国で死んでしまった彼女に誰も花を手向けないだろうと、綺麗な花を持って行ったのを今でも覚えています。
ヨーロッパのお墓は日本のお墓と違って、天使の像があったり、墓石の周りにお花畑が合ったりして、まるで公園を歩いているような感じです。ウィーンで墓参りなんてと思われる方もいるかもしれませんが、実は、飛行場のそばにも中央墓地というのがあります。ここには有名な音楽家の墓地があり、日本からの観光客も絶えません。ベートベン、シューベルト、ヨハン・シュトラウス父子などの他にも、中央にはモーツアルトの像も建っています。「ヨーロッパでお墓参りはちょっと…」と遠慮される方も多いと思いますが、どこも太陽がさんさんと当たって花も綺麗に咲いています。日本のお墓と違って余り悲壮感を感じさせないところが個人的に良いと思います。
来年は『オーストリア日本交流年2009』(交流140周年)なので、是非ともこの機会に、『クーデンホーフ光子』をはじめ、日本とオーストリアの関係について触れてみてください。きっと様々な面白い発見があると思いますよ!
又、オーストリアに旅行する予定の方は、是非とも、ウィーンの墓地に足を伸ばしてみてください!
では、次回またお会いしましょう!
NAOKI
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